インターステラーの娘の子

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とてもノーブルなお顔立ち。
なんか、何年後かにラックスのCMに出ている画が浮かんだ。
名前、マッケンジー・フォイちゃんって言うんだって。14歳。
この顔立ちで、フォイって、なんかいい…隙と愛嬌のある音…ふぉい…

どうでもいいんですけど、
関ジャニ∞のなかで、いちばんマシュー・マコノヒー感があるのは
どっくん(錦戸亮)だな、と思いました。
両眉と鼻筋で作られるT字部分。

映画をIMAXで観なかったことを、
とても後悔しています。

5次元本棚シーン!
5次元といえば、わたしが中学生くらいの頃、
一時期母親がフィフス・ディメンションの「アクエリアス」という曲ばかりを聴いていた時期があって。
ググるとこの曲がビルボードで1位をとっているのは1969年。
たぶん母親が、19、20歳のとき。
子供ながらに、何か思い出があるのだろうな、とは思いつつ
そこにわたしの知らない「お母さん」がいることにすごく興味をそそられた記憶がある。

インターステラーでも、
マシュー・マコノヒーが娘を置いて宇宙へ行くことを決めるシーンがあるけれど、
あれも、娘や世界の未来のためっちゅーのもあろうが、
結局「お父さん」ではない、もう一度宇宙へ行きたい自分を選んでいるように見えた。
自分にとってのお母さんやお父さんが、
それ以外の顔をみせる。
急に親がひとりの人間として、立体的に見えてくる瞬間。
ドラマテッコ!

NO宿、つまり宿はなし。

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週末、なにをしていたのかと訊かれたら、
ワンコイン払って野宿をするという
酔狂な企画(チャリティ野宿)に誘われて、
知らない街の商店街のアーケードの下
夜を過ごしました、以上の答えも以下の答えも持ち合わせていない…

地べたから眺める景色は新鮮で、
アーケードの蛍光灯はこうこうと夜に光を放つ。
視界には通り過ぎ行く人の足。
寝袋を下にうつぶせになって飲む豆乳の味…
はいつもと変わらないけれど、
いつかホームがレスになった折には、
きっとこの景色を思い出すのだろうと、
できれば思い出さないような人生を歩みたい、と思ったことよ。

そういえば、野宿も夜半を過ぎて
夢うつつのなか周囲から漏れ聞こえてきた、
「野宿にも色々あって…例えばバースデー野宿とか…」
の下り、あれも一生忘れないと思う。
一瞬、ねぼけたまなこが覚めかけました。

※ちなみにバースデー野宿とは、誕生日前日から野宿をして、生まれてから今日までの日々を振り返り、新たな誕生日を迎える、という喜ばしい野宿のことらしいです(確か、そんなこと言ってた…)。

野宿前、いつもはシャッター商店街だというその界隈のいたるところで
古本市やらライブやら女人の踊りやらが
これでもかと繰り広げられていて。
気持ち良すぎるスネアの音と、
所々顔を出す電気なギターのジミヘンフレーズと、
まるでウッドベースとダンスをするよなベーシスト。
Liquidという名の御三方の音で、
厚着をしていたわたしの身体は汗ばむこととなったのでした。

そして、1度も踏んだことのないワウを、
踏みたい衝動にかられたのでした。
ブイブイの次くらいに、
ワウワウも、言わせてみたい。

そして、またひとつ。

秋の入口に、またひとつ。
もくもくと、りゅうりゅうと膨らんでいた入道雲が解散して、
魚の鱗みたいになったところで、ことしも歳を取り候ふ。

言葉や、声や、おいしいものや、お花や、おいしいものや、
フィギュアや、おいしいものや、音楽や…
奇特で温かで愉快なひとたちから、良きものをもらい、感謝のこころ。
ARIGATO ! OBBLIGATO !
年々おいしいものの構成比が高くなってきている…
花より…だんご…おだんご…

そして、気づけば、けっこうないい歳になっていたのであった…!
後ろを振り返ろうとするときにドキッとしてしまうくらいに。

夏の夜に見聞きした矢野顕子が、とても良くて。
「飛ばしていくよ」がとってもかっこうよくて。
そしていま、わたしの手には、先日ありがたく頂戴奉った
「飛ばしていくよ」という名のアルバムがあって。
首都高、マンション、鉄橋、川、スカイツリー…
朝と夜、会社に向かう、おうちに帰る、行き帰りの景色の中に
あっこちゃんの歌とピアノがピコピコと溶けている。
(でも、「飛ばしていくよ」とオフコースカバーの「YES YES YES」はライブの方が倍よかった!)

忙しさだったり、慣れない物事だったり。
小さな痩せ我慢だったり、それに伴う少しの哀しさだったり。
日々巻き起こる、そんな要素によってすり減っていくものって、
微量ずつがゆえに、削れていっていることにすら気づかなかったりする。
でも、減りに減ってなくなると、だいぶやさぐれて意地悪になる。
たっぷりあれば、だいぶ軽やかに強くいられる。
そんな養分を、その芯をチャージしていくような。

のっぴきならないくらいの素直さに、微笑むしかないような。
大きな明るい旗をはためかせながら、大通りを、野原を、自由に行進していくような。
あっこちゃんの音楽でかたちづくられてゆくわたしの気分は、そんな。

「ごはんとおかず」のごはんソング。
お母さんと家族の風景だった「ごはんができたよ」から、
ふたりの風景になっていて、おとなの生活感やで!
でも、いっとう好きなのは、キャンペーンソングながら、
伊勢丹愛弾む「ISETAN-TAN-TAN」かもしれない。
買物って、たのしいですわよね…!

まずは、目の前のことを、ひとつひとつながら、
心意気は、飛ばしていくよ!で進んでいきたい三十路ロード。
自分を大事にしすぎることなく、しなやかに。
たくさんの出来事にハローをしながら、いまと未来に伸びゆきたい。
ハロー!ハロー!

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はじめてのアメリカ大陸【着陸前夜memo】

機上から。

夏の少し前、おしごとで、アメリカに行ってきたのでした。
たぶん、いちばん日本が知っている他国。
こどもたちがはじめて習う、日本語以外のことば「英語」を母国語とする大きな国。
オープンで、パーティ好きで、ジョークも好きらしい(という噂の元に育ってきた)。
その、近くて遠い大きな大陸を踏みしめてきたのでした。

はじめて、は、高揚するもので、アメリカに着くまでは、あんまり眠れなかった。
ぼんやりとした頭で、地上何千メートルの機上で、
明日からのことや時差について考えたりしていて、
今のことは忘れないでおこう、とメモをとった。
その日に栞を挟むような気持ちで。
瞬間と思考の輪郭をなぞるように。
せっかくだから、ここに残しておこうと思う。
後で読み返したら、鮮度があったから。

———-
6月19日(木) 日本時間 21:54

デルタ航空284便。席は窓際。
機内、充実のエンタメコンテンツ。
目の前の液晶はタッチパネルで、新旧映画選びたい放題。
ながら、そう英語のリスニングに自信があるわけでもないので、
細かい会話が分からなくても話が把握できそうなアクション映画をチョイス。
それも、そう新しくないやつ。「ウルヴァリン」(!)。ひゅーじゃっくまん!

結果からいうと、ちょうどよかった。
舞台はニッポンで、時々ハリウッドな「ジャパンってこうあってほしい!」感や、
ガイジンの拙い日本語が顔を出した。
これから行く土地からのフレンドリーな「コンニチハ!」が聞こえてくるような映画だった。
そしてなによりヒュー・ジャックマン。
あの、謎の安心感・安定感はなんなのか。

あと、見たことのある学ロンの看板、と思ったら高田馬場だったり、上野駅だったり、
新幹線で特殊能力のないふつうのヤクザとウルヴァリンが切った張ったの闘いを繰り広げたり、
ウルヴァリンの奥さん役の人、どこかで見たことのある女優さんだと思ったら、
デヴィッド・ボウイの「Thursday’s child」PVの奥さん役の人だってことに気づいてハッとしたりした。

映画を観ている間に、空は暗くなっていて、いつの間にか飛行機は夜の中を飛んでいた。
夕方の16時に日本を飛び立ち、夜を超えて、現地に着くまで9時間。
夜中の2時のはずなのに、アメリカ大陸に降り立つときには朝の10時という、わけのわからなさ。
夜のなかを飛んで、朝を目指しているようで、ー16時間、朝に逆戻りしていることになる。
つまり、過去に戻っている。
つまり、時を超えている…⁉︎ ことになる。
でも、わたしにとっては、それは明日の出来事なわけで、
「僕らのミライへ逆回転」をリアルに体験しているわけである。

なんということでしょう…!

時を超えて向かうは、ロサンゼルス。
あと、数時間後には、わたしの足の裏ははじめてのアメリカ大陸の土を踏んでいる。
はじめて、は好き。
馴染みのあるもの、繰り返されるものの味わいも勿論好きだけれど。
はじめて、は無条件に特別で、新しくて、ワクワクさせてくれる。
何が起こるのかわからないし、知らないことはまだまだたくさんある。未知のものが目の前に広がっている。
自分が変わっていくこと、するりと、薄いベールを脱ぐように少しだけ変化していくこと、それを楽しむこと。
知ったつもりになんて、なれるわけがないし、なることもできない。
そんなことを考えながら、暗くなった機内で、目を閉じてみる。

美女とスポンジ

雷が鳴った。
春雷かと思ったけれど、まだ少し遠い。
外は真っ白だ。雪である。
「雷雪(らいせつ)」、という言葉があるらしい。
「雪おこし」とも。雪がたくさん降る前に鳴るという。
雪の子供を起こすような感じだろうか。

金曜日の夜は更けていき、テレビではすいすいと氷の上を楽しそうに滑るひとたちがいる。
テレビ…
そう、また、テレビの話なのだけれど。
テレビの、CMの話。

サントリーウイスキー角瓶の、井川遥の話をしようじゃないか。
井川遥を見て、思ったのである。
美女って、いい女って、 “含んでいる”な!と。
それが、世に言う色気なのかもしれません。

井川遥が、いつの間にか、キレイなひとから、美女に、ちょっといい女に寄っていた…!

表面的なキレイではなくて、
見えない何かを、つかめそうでつかみ取れない何かを秘めている。
目に見えて漏れ出たり、びしょびしょになってはいないのだけれど、
あれは、そう…

水分をたっぷり含んだスポンジのような!

絞ったら、ぽたぽたと雫が落ちるような。
水もしたたるナントヤラ、も美しさをたたえる言葉だけれど
(美と水っ気はセットなのか…
となると、水分を感じさせる唇というパーツが演出する印象はかなり大きいのかもしれない。
あと、「潤む」という言葉に結びつく目も。やっぱり。)

美女はなにやら “含んでいる” ものなのだと、
井川遥を見て、気づいたのでした。

あのCMの井川遥のフンイキの輪郭をなぞると、こんなかんじ!

あのCMの井川遥のフンイキの輪郭をなぞると、こんなかんじ!

そして、あのCMを見た素直なわたしの感想は、
井川遥みたいになりたい!とか、
加瀬亮(と田中圭とピエール瀧)に想われたい!とかではなく、

井川遥を口説ける立場にある、男のひとがうらやましい…!

でした。心から。そのくらいハッとして、奪われた。
そうして、結局今晩、久々の落書きにまで至ったわけで、
次元は違えど、数多くの芸術家たちにそれぞれ美しいミューズがいるという事実が
改めてストンと落ちるよね。美女は偉大。

少し前に見かけたNHKのドラマでは、
斉藤工が惚れる義母役で出ていた記憶があるのだけど、
あれは井川遥の最近の美女への変貌ぶりに気づいたひとのキャスティングだと
今なら、強く言える…!